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池田 大介(いけだ だいすけ、1964年3月3日 - )は日本の編曲家、レコーディングディレクター、キーボーディスト。山口県出身。日本大学芸術学部卒業。ビーイング所属。場合によっては「池田大輔」とも表記する。 ==人物== 小学生の時にピアノに出会ってから、中学、高校、大学と音楽の道を歩む。大学卒業後、アポロン音楽工業に入社するも、企画制作から営業部に異動になったことにより退社。その後、ビーイングに入社する。 主に宇徳敬子の楽曲のクレジットで登場する「池田大輔」は同一人物である。「池田大輔」は歌詞カードの誤記だったのだが、本人がこの表記を気に入り、芸名として使い始めたというエピソードがある。ポップス系のほか、ストリングスやブラスを使ったアレンジを得意とし、他のアレンジャーの作品にもストリングスアレンジやブラスアレンジとしてクレジットされることが多い。 また、2000年と2002年に行われたFIELD OF VIEWのライブ「Live Horizon Special 2000 〜fourfold colours〜」と「Live Horizon-SUPERIOR 2002 〜Gift of Memories〜」では、バックオーケストラの指揮者として参加した。その模様は、FIELD OF VIEWのライブDVD「the FIELD OF VIEW FINAL LIVE “Live Horizon-SUPERIOR 2002 〜Gift of Memories〜”」で確認することができる。 ちなみに、同じキーボーディストの大楠雄蔵(OOM)と三枝夕夏 IN dbの専属サポートミュージシャンを行っていた。最近では宇徳敬子コンサート「WOMAN」シリーズでキーボード又はピアノ演奏兼バンマスをつとめている。 1994年頃まではDEENのカップリング曲や宇徳敬子・柳原愛子といったアーティストへの編曲を中心に活動していたが、1995年に入り明石昌夫が一連のビーイングアーティストの編曲業から撤退したのと入れ替わるように、B'zやZARD、DEEN、FIELD OF VIEWのシングル表題曲を中心に活動する。B'z「LOVE PHANTOM」(1995年)やZARD「心を開いて」(1996年)、DEEN「夢であるように」(1997年)など池田の編曲した曲は1995~1998年に高セールスを上げた。同時代にビーイングを編曲面で支えた明石昌夫はInfinite-Colors TVにおけるインタビューで、池田や葉山たけしとアレンジが似ていることについて、プロデューサーが明石のアレンジを気に入り、葉山や池田にそれを聞かせ同じように編曲するようにとの指示があったとの事である。明石によると池田のシーケンサーの使い方は明石と全く同じだという。実際、明石の編曲に特徴的な低く太いベース音や2拍目のクラッシュシンバルなどは池田の編曲にも頻繁に見られ、池田の手がけた曲のギターも多くが鈴木英俊(明石の編曲に多く参加するギタリスト)によるものである点でも共通点が多い。ただ2000年頃からは作風を変え、バンドサウンド的な編曲よりも小松未歩や倉木麻衣などのGIZAアーティストに合わせたリズムパートの軽いサウンドを展開している。 また、明石は自身のアレンジは「攻め」のアレンジでデビューからブレイクするまでにはインパクトがあり良いが、それを過ぎると「うるさい」ものになると自己評価する一方、池田のアレンジをきめ細やかで人間性が出ている優しいアレンジと評し、1995年頃から池田が手がけたZARDのアレンジについては自身のアレンジよりもはるかに良いと述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池田大介 (編曲家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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